第48回 つぶやきの終りに 

 私は、教育長に就任した直後、自分への戒めに「謙虚」と「寛容」という言葉を書き教育長室の机の上に置きました。八年間毎日見続けてきたのですが……、もちろん私が「謙虚で寛容だ」という意味ではありません。
 
 先輩のある方に「人の上に立ち、リーダーとして組織を引っ張っていくのに、『謙虚と寛容』とは何だ!」と言われました。そんな柔な精神で組織のリーダーが務まるのか、という意味の言葉でした。また、管内のある教育長に「あんたは何をしようとしているんだ。何もしていないから人とぶつかることもないし人に嫌われることもないんだ。俺は嫌われている」と批難されました。
 さらに、小中一貫教育を始めるにあたり、「皆さんで議論し、いいものを作っていきましょう」と言ったおり、それに対し「どういうものにしたいのか何をしたいのか、教育委員会の考え、教育長の考えをはっきりと打ち出せ」と当該校の校長先生に迫られました。私は自分の頭の中にある理念と道筋をさらけ出したつもりでしたが、具体的な指示がないと叱られました。私は判断や決断から逃げることはなかったと自負していますが、トップダウンで自分が先頭に立ち何かを成し遂げたとも思っていません。私は、多くの場合アドバルーンを揚げ、全体で議論し前に進むという方策をとってきました。行政がはっきりとしていなくては施策が前に進みませんから、物足りなく感じた方もいらしたのだろうことは理解しています。
 
 ある時、学校と保護者とのトラブルが解決しないまま教育委員会をも巻き込み、大きな問題となりました。なかなか解決に至らない状況の中、私は白い封筒に「辞表」と書き、中に一枚の白紙を入れ机の引き出しに仕舞いました。どんな場合にも結果責任はとらなくてはならない、という私が私自身に表明した決意でした。幸いにも、二期八年の間に、この「辞表」を町長に提出することはありませんでした。そして、二期目に入った頃、結果責任は当然のこととして、真に私に課せられているのは責任ある仕事である、ということに気づきました。その頃から、自分にも職員にも学校管理職にも、「結果責任は私が負いますから、皆さんは責任をもって仕事にあたって下さい」と話すことができるようになりました。
 
 私は、行政に身を置いていたからどちらか一方に片寄ることのないようにしていた訳ではありません。時間がかかりなかなか結論に至らなくとも、話し合いやいろいろな人の知恵や考え、そして意思を大切にすることをやめられませんでした。
 それらが、私の性格・性質でもあったことを自分自身深く認識していたことを申し上げ、解決できずに残した教育行政上の課題について、心からお詫びいたします。