鉄道開通以前、かつて中標津町内には殖民軌道という簡易的な鉄道があり、そこにはいわゆる"馬鉄"や"ガソリンカー"(写真)が走り、物資の輸送や人々の移動に使われていました。
その路線には、日本で始めて開通した中標津〜厚床間の「根室線(第1次)」をはじめ、「計根別線」、「標茶線」、「養老牛線」、「根室線(第2次)」そして、「中春別線(中春別市街−上春別市街)」の一部が協和地区(30線南10号〜35線南10号)にありました。
先日、中春別線の跡を踏査してきましたので写真を紹介します。
「トロッコ2両連結下段に俵、上段にカマス詰めの軍用燕麦」(出典:謎の殖民軌道、芳賀信一著、2006)