みなさんは、幕末期の会津藩をえがいた大河ドラマ『八重の桜』をご覧になったことがあるでしょうか?
実は中標津も幕末期、幕府の北方警備政策により会津藩領となっていた時期がありました。その関係で会津藩陣屋が標津に置かれたり、幕府によって標津川沿いに北方警備のための内陸の道が整備されたりしました。
その道を1858年に通行した松浦武四郎が、止宿所・一里塚などがあったと記録を残しています。
その止宿所のあった遺跡からは、日本酒や焼酎を入れていた徳利・味噌や塩を入れていた甕(かめ)のかけらが出土しています。
同様の陶磁器が、北前船の海運によって各地の陣屋などに流通していることから、中標津で出土した陶磁器も海運と内陸の道を経て止宿所まで運ばれたのでしょう。