昭和20年、日本軍は太平洋戦争で苦戦が続いていることから本土決戦に備え、千島方面の守備隊を北海道へ転進することに決定しました。
そして、その年の5月に旭川第七師団から編成された、通称「熊九二〇七部隊」の本部が武佐中央市街に置かれました。
この部隊の任務は、敵軍が標津浜から上陸することを想定し、その迎撃のため武佐岳の中腹にセメントで固めたトーチカ風の山砲陣地を構築するというものでした。
その場所は、中標津空港送迎デッキから真正面にみえる武佐岳ふもとの笹原台地という比較的よく目にする場所だったのです。
参考文献:土田良吉(2011)、「実録・武佐岳に旧陸軍の「山砲陣地」があった」、『中老連会報 No.145号 年輪 平成23年7月号』