Nakashibetsu Municipal folk Museum

中標津町在住の西村穣さんの植物コラム。

道端の野菜〔番外編〕

カモ

マガモ毎年10月1日は狩猟解禁日である。

大方の人にとっては、何の?となるのだが、ハンティングを趣味とする者にとっては待ち焦がれた日となる。その日が近くなるとやたらと鉄砲の手入れ回数が多くなり、銃弾造りもよくやっていた。
ちなみに日本は諸外国に比べて銃は厳しく規制されているが、狩猟のライセンス料に関してはただ同然らしい。

当時、風連湖は狩猟の聖地といった感があり、私の父と仲間たちは前日から泊り込みで猟場へ行き日の出を待つのである。
太陽が顔を出すのととほぼ同時に湖一帯に銃声が響くのだが、その音がなんともいえない。
あちこちで発生する音の塊が湖周辺の崖に木霊し増幅され渦を巻きながら最後はすっと海へ抜けて消え去るといった感じだ。
朝方はカモが餌場へ移動するのか飛来数が多く狩猟に適した時間で、ハンターにとっては稼ぎ時だ。

その昔は無制限に獲ってもよい時期があったのか、すさまじい数のカモを並べ得意げな顔をした男たちの写真を見たことがある。
ちなみに祖父の写真の中には撃獲った白鳥の写真がある。そんな時代もあったのだ。
とはいうものの、最近はさっぱりカモがまわってこない。
鳥インフルエンザが野生の水鳥を介しているとの報道が影響したのか、とても残念である。

オナガガモ最も大きいのはガン(当時はガンも狩猟可能)。
カモで大きいのはマガモ、中くらいはオナガガモとヨシガモ、一番小さいのがコガモというのをおぼえている。
少し陽が高くなり獲物の移動が落ち着いてしまうとその日の猟はおしまいとなる。
帰ってくると早速調理する。まず毛や羽をむしりほぼ丸裸にする。鶏と違ってお湯につけなくともよく、子供にもできたのでよく手伝いをした。
とはいえ、握力がないためトラ刈りならぬトラむしりになってしまい、最後は父がしょうがないと言いながら仕上げをする。

大人たちは抱き肉の肉ナベをつつきながら猟果の健闘を称え自慢話に酔う。ガンの1羽も獲ると更に話は大きくなる。
子供はマガモの足のステーキにかぶりつくのだが、これがとても楽しみで早く食べたい一心で調理を手伝った記憶がある。
そのころの体験は今でも健在で、カモを丸ごとすべて料理できる技術は結構貴重なであると思うのだが・・・。
あがりはガラのスープで作ったつゆで手打ち蕎麦をたべる。野生のカモはガラになっても力強い味がする。あの味も忘れがたい。

コガモ父と猟に行くこともあった。
ある日、なぜかコガモしか手に入らなかったが、そういうとき必ず父は「コガモが一番うまい」と言っていた。


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