「北方領土の思い出と想い」 中條 忠男(国後島)

島の思い出
  昭和14年7月国後島泊村古丹消で誕生し、6歳までをその地で過ごした。その間何も考えることなく、無邪気に楽しく遊んだ思い出が今でも心の中に残っている。ある時は海岸に湧き出ている温泉と海の中に出たり入ったりで飽きることなく遊んだこと、大きな子どもたちがたくさんのウニを捕ってきて食べさせてもらったこと。ある時は父の操る小舟で海岸近くに仕掛けた網にかかっている魚を捕りに行ってそれを朝ご飯の時に焼いて食べたこと。
・・・などなど子ども心ながら数え上げたらきりがない。しかし、ロシア兵が侵攻して来たため昭和20年9月25日の嵐の夜(だと親に聞かされている)島を脱出した時の辛い思い出は決して忘れることはできない。

島に対する想い
 『還せ北方領土!!北方領土は日本固有の領土だ』と叫び続けて半世紀はとうに過ぎた。その間に多くの元島民が願い叶わぬまま他界している。平成8年8月、脱出以来50年ぶりに墓参団員として故郷の土を踏んだ。第一歩の感動は足が震える感じだった。追悼の言葉を述べる団長も感極まったのだろう、号泣してしまって言葉にならない。『島に対する想いは異常と思われるほど強い人なんです』と奥様が話していたことがある。(そのご夫婦も既に他界されてしまった)島には私の二人の兄も眠っている。『帰りたくない』と大きな字で海岸の砂浜に書いた団員、島を離れるときに島に向かっていつまでも手を振っていた90歳を過ぎたという老婦人、長い間生活し仕事をして財産を築いてきた元島民の想いは私など足元にも及ばないことを知らされた。ことあるごとに「古丹消」の話をしていた両親も一度も島を訪れることなく他界して十年以上になる。遅々として進まない北方領土の解決に『俺は国のやることに対して期待も落胆もしていない』と吐き捨てるように言っていた元島民の方がいた。決して本心ではないことは読み取れる。一日も早い解決を心から願っての言葉だろう。期待と希望を持って返還運動に取り組んで行きたい。『還せ北方領土!!北方領土は日本固有の領土だ』と・・・。その日が来るまで叫び続けたい。ただ、私たちに残された時間はそう長くはない。