人生を描くこと

 公立高校の入学試験は3月3日ですが、間もなく、中標津町の各学校では卒業式の季節を迎えます。たくさんの思い出とともに、希望と不安を胸に抱えながらの巣立ちです。
 昨年の11月にも書きましたが、自分の子ども時代を振り返ってみてください。卒業式の時の自分から現在の自分に目を移した時、自分の人生が見えてくると同時に、今の子どもたちの姿や思いも見えてくるのではないでしょうか。子どもが夢の実現に向かい努力する様子を傍らで見守ってあげること、挫折した時に励ましてあげること、それが大人の役割と思います。
 私たちは、皆、人生の節目節目に夢や希望を胸に描きます。私は、若い頃(十代の後半から二十代にかけて)小説家になりたい、自分が読んだ小説の主人公のように生きたい、そんな人間になりたいと思っていました。でも、小説家にもならなかったし、これまでのところ波乱万丈の人生でもありませんでした。理想主義者にもならず、それほどデカダンな生き方をしたわけでもありません。
 思っていたのに、なぜそうならなかったのか。たぶん、「ならなかった」というより、そう「しなかった」という方が正しいのでしょう。私がいま語るほどには、そういった思いをストイックに求めたりはせず、また、努力しなかったせいでしょう。
 私の友人の中には、当時語っていた自分の「思い」のとおりに、人生を歩んでいる人もいます。出版社に勤めて、編集者になった人。自分で喫茶店をやっている人。学校の先生が夢で、教師になった人。十代で結婚して母親になった人。
 でも、やはり多くの人は、昔語っていたとおりの人生を歩んでいるわけではありません。ただ、思い描いたとおりの人生が幸せかどうかは別問題ですが……
 では、どんな時に、自分の思いや夢が実現するのでしょう。どうしたら、思いどおりの人生を歩むことができるのでしょうか。
 出来なかった私が言うのですから、信用するには足りないのですが、やはり『自分の思いを強くすること』『目標に向かって努力すること』『全てというわけには行かないから、何かは我慢すること』
と言えるのではないでしょうか。
 三つのすべきことの中でも、『我慢すること』を考えてみます。
 人には許容量というものがあるようです。「一生分の酒」ということが言われます。若いときに大量に酒を飲んだ人が、年老いて酒を飲めなくなったときに使います。「彼は若い頃、一生分の酒を飲んだから」という具合です。酒の神様がいて、一生分の酒の量を決めているということです。
 神様は、人生そのものにも許容量を決めていて、ある新しい道に進むには、それまでに歩いてきた道を、あるいは今歩いている道を捨てなさいと言うことがあります。つまり、新しい人を好きになったのに、前の人とも付き合っていたいというのは、虫がよいと神様は言っているのです。
 さて、どちらがいいのでしょう。もちろん、一人の人と付き合いたいのか二人の人と付き合いたいのかということではないのですが……
 
 私は答えを持ち合わせていません。ただ、言えるのは、結果として、私は若い頃に思い描いた人生を歩むことはありませんでした。かといって、それを不満に思っている訳でもありません。
 
平成22年2月 教育長
 小 谷 木  透