なぜ学ぶのか

 今年度の各学校における卒業式も高等学校から幼稚園まで、全て終了いたしました。私も幾つかの学校の卒業式に参列させていただきましたが、どの卒業式も大変感動的で、多くの思い出とともに新しい旅立ちへの意欲にあふれたものとなっていました。
 丸山小学校でお話した祝辞の主要部分は、次のようなものです。
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 四月から、皆さんは中学生になります。中学校での三年間では、大人の入り口に立つために、いろいろと準備しなければなりません。そのために大切なことはたくさんありますが、今日は二つのことをお話します。

 その二つとは「疑問」と「夢」です。

 四年生の時に、国語で勉強した「あり」という詩を覚えているでしょうか。
あの詩の最後は、

そんなありありっこないさ  そんなありありっこないさ
ほんと!  でもそんなありさん  なぜいないんだろ?

と、結ばれていました。
 「そんなありありっこないさ」と言いながらも、「なぜいないんだろ?」と疑問を感じています。「疑問」は全ての勉強の始まりです。「なぜ、こうなんだろう」「どうして、そうなんだろう」と感じるところから、新しいことを知りたい、その原因を学びたいという意欲が出てきます。
 そして、もう一度この詩の最後を読んでみてください。
「なぜいないんだろ?」の後に、「きっと、いるに違いない」という作者のつぶやきが聞こえてこないでしょうか。「18メートルもあるありさんや、フランス語を話すありさんがいたっていいじゃないか」と思っている作者の姿が浮かんでこないでしょうか。
 これが「夢」を抱いた人の姿です。夢は行動の始まりです。作者は、この後、「18メートルもあるありさんや、フランス語を話すありさん」を探す旅に出たかもしれません。
 疑問を持つことで、学び、学ぶことで夢を持てるようになり、夢を持つことで行動できる人になります。ぜひ、そんな人をめざしてください。
確かに、行動には失敗もつきものですが、あきらめたり、挫けたりせず、何度でも失敗しながら、「努力することの大切さ」や「周りの方々への感謝の気持ち」を忘れず、充実した中学校生活を送ってください。
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 子どもたちはよく「何のために勉強するの?」「こんなこと役に立つの?」という質問をします。大人は、その質問にすっきりと答えることが出来ず、「勉強は子どもの仕事だ!」と大きな声を出してしまいます。私は、丸山小学校で、疑問を持つことが勉強の始まり」と話しましたが、なぜ勉強しなければならないのか、何のために勉強するのか、については話しませんでした。
 人はなぜ学ぶのか。私も確たる答えを持っているわけではありません。
 何とか、私の頭で答えを探してみました。三つの答えを得ることができました。
一つは、「脳を鍛える」ことです。脳は使わないと衰えるとも言われますし、人は脳の能力のほんの少ししか使っていないとも言われます。学習は、ひたすら脳を使わなければなりません。
 二つ目は、「人は社会で生きている」ということです。
子ども時代の学校生活も、社会人としての職業生活や家庭での家事労働も、みんな自分以外の他人との生活です。そして、さまざまな物質や事柄に向かっての生活です。孤島に一人で生活しているわけではありません。コミュニケーションも必要であれば、譲り合いも必要です。物をどう扱うか、出来事にどう対処するかを知らなければなりません。私たちは、人からも自然からも学ばなければ生きていかれません。
 最後は、「私とは何か」を考えることです。「哲学」というと少し大げさですが、これがもっとも大切なことではないでしょうか。人は、友達とけんかしたとき、失恋したとき、仕事で失敗をしたとき、とても情けない気持ちの中で、「自分は駄目な人間だ」「何をやっているのか」「何のために生きているのか」「生きていてもしょうがない」と思ってしまいます。この時、私たちは、自分に向かい問いを発し、ひたすら答えを見つけようとします。
 現代日本では、一年間に三万人が自殺するそうですから、生きるための答えは簡単に手に入れることはできないのかもしれません。子ども時代に真面目に勉強したからといって、生き延びる答えが見つかるとも限りません。でも、「私とは何か」という問いを発せずに、このことを考えずに死んでいくというのも寂しいことです。ただ、確かなことは、三万人を除いた一億二千数百万人の人たちは、さまざまな挫折を味わいながらも生きているということですから、少し楽観的に考えてもいいのかもしれません。
 いずれにしても、私たちは、生きるために学び続けなければなりません。微分積分はどうか分かりませんが、分数は毎日の生活に必要ではないでしょうか。
 
平成22年4月 教育長
 小 谷 木  透