何か変だな

  教育委員会委員長の近野氏と話すと、時々「美しい日本語がなくなりましたね」ということが話題となります。確かに、明治時代から昭和前期の小説、あるいは戦後早い時期までの映画で読み聞きする日本語は美しく感じられます。
 言葉というものは変化するものです。変化しなければ、人によってさまざまに異なる個人の思いを表現することは難しいでしょうし、時代の思潮も表現できないことになってしまうかもしれません。

 ところで、『美しい日本語』とはどのようなものなのでしょう。美しさというのは個人の感覚に左右されますから、断定的一方的には決められないのでしょうが、まず第一に私の頭に浮かぶのは敬語です。
 私は、現在の仕事に就いてから、議会に出席するという機会を得ることになりました。そこで、気づいたのですが、答弁する側の言葉遣いに次のようなものがありました。
 「思ってございます」「考えてございます」ですが、たぶん議員に敬意を払いていねいな言い方をしているのだと思いますが、どうでしょう。「これは、とても美味しい魚でございます」「きょうは、お暑うございますね」という使い方には違和感を感じないのですが、「思ってございます」は感覚的に受け入れ難いのです。「思っております」「考えております」の謙譲語でいいのではないでしょうか。しかし、この言葉遣いは町議会に限らず、道議会でも国会でも聞くことができます。そこらじゅうで使っているのだからそれでいいではないかと言われれば、返す言葉はないのですが……
 もう一つ、私は、最近歌われている歌にはとんと縁がないのですが、時に、テレビの歌番組やコマーシャルで耳にする時に気になるのが、鼻濁音を使うべきところで濁音を使っていることです。
 「わたしが~」の「が」は、濁音ではなく鼻濁音のはずです。「ga」ではなく「ŋa」ではないでしょうか。学校(がっこう)を「ŋakkou」と言う人はいないと思いますが、音楽(おんがく)を「ongaku」と言う人はいるようです。鼻濁音を使うべきところで濁音をつかっているのを聞くと、どうも美しい日本語には感じられないのです。「watashiga」で、何も問題はないと胸を張って言われると、沈黙してしまうのですが……

 さて、書き言葉やイントネーションでも気にかかることはありますが、いずれも、時代によって変化している言葉に、私が付いて行けないということに問題があるのでしょう。
しかし、しかしですね、私は自分の感覚を大切にしたいと思います。『何か変だな』と感じないような自分であってはいけないと、常々思っています。

 五月現在、政治の世界で大きな問題となっている沖縄の普天間基地移設ですが、沖縄に米軍基地が集中している現在、その負担を軽減するということが目的の大きな部分と認識しています。そこで、移転先を探しているのですが、うわさに上る自治体や地域では反対の大合唱です。もちろん、危険を伴う基地が自分の身近にあることは避けたいと思うのが、住民や自治体にとっては当たり前のことと思います。
 しかし、そこで考えてみたいのですが、では危険は沖縄の人達だけが引き受ければいいのでしょうか。『何か変だな』とは思いませんか。本当に反対するなら、米軍の基地そのものを日本には置かないと言うべきではないかと思うのですが、いかがですか。
 また、教育の世界では、北海道教育委員会による『教職員の服務規律の実態に関する調査』の実施ということが、各地の教育委員会・学校で問題となりました。この調査については、北海道新聞紙上で何度か取り上げられ、世間でも話題となりました。人権侵害や不当労働行為という言葉も飛び交いました。しかし、学校での勤務時間中の組合活動には問題があるので、実態を知るために調査を実施しなければならないという論調もあり、議論を決着させることは大変困難なことでした。ただ、言えるのは、法律に触れるような形での組合活動が許されるわけはありませんし、人権侵害をしてまで調査することが許されるはずもありません。
 ものごとは、なかなか自分の思うようには進まないのでしょう。ただ、ここでも『何か変だな』と感じる感性を失ってはいけないと思います。

 学校では、子ども達に基礎的な知識を身につけさせ、社会生活の中でそれを活用できる人間として育てようとしています。ただ、知識というものは絶対的なものではないですし、社会生活の中でそれを活用するには、順番を組み替えたりさらに深く学んだりということが必要です。ですから、先生が黒板に書いた漢字
が間違っていたら、間違っていることに気が付き「先生、間違っています」と言える子どもでなければなりません。子ども達が、目の前にしたことを全て鵜呑みにするのではなく、『何か変だな』と感じることができる感性と思考力を学校教育は育てなければなりません。多くの知識の中から必要なものを選び、多くの情報の中から正しい情報を見つける、そして、社会の中で逞しく生きていけるように、子どもを育てなければなりません。

 言葉の話題から少し肩に力の入った話題になってしまいました……ご容赦

 
平成22年5月 教育長
 小 谷 木  透