学校の勉強なんか、楽しくない
9月も半ば、今年の夏は暑かったと思いながら、それでもまだ上着を脱いで脇に抱えながら、役場への道を歩いています。
毎朝、小学生・中学生・高校生とすれ違ったりいっしょになったりします。いつも感じるのは、子ども達の表情にあまり元気がないということです。元気がないように見えるということです。子どもは石を見たり、草花や虫を見ながら、時には何かを考えながら歩いていますので、下を向いているからといって元気がないとは限らないのですが、それにしても何か、私は違和感を感じるのですが、思い過ごしでしょうか。
晴れた日もあり、雨の日もあります。子ども達も、朝、誰かとけんかして家を出てきたのかもしれません。朝食を食べてこなかったかもしれません。嫌いな授業が2時間ある日なのかもしれません。
自分の子ども時代はどうだったのか、思い出してみました。
ほとんどの親は、子どもが学校を休むことを簡単には許してくれませんでした。また、家にいるよりは何かがあるのではと、子どもの好奇心をくすぐるのが学校というものだったのではないでしょうか。
小学生の頃は、仲の良い友達と誘い合って学校に行っていました。雨の日には、長靴と合羽で、靴の
中に水が入らない程度の水たまりを探し、わざとその中を通りました。時に、予想したよりも深い水たまりで、靴の中が水浸しになりましたが、長靴を逆さにし水を出して歩いて行きました。靴の中も靴下も、そしてズボンもぐしょぐしょになったはずですが、そのことでとても困ったという記憶はありません。
中学生の頃は、最短距離を通って学校に行くことはありませんでした。坂を上り階段を下りる。他所の家の庭を通り、犬に吠えられる。道路ではないところを選りすぐって進みました。時には、いつもより相当早起きし、転校生で勉強が出来かわいい女の子の家の側を通るために、よそ見しながらでも30分もかからない道を40分50分かけて遠回りをしました。家の陰から、様子をそっと窺うのでした。そんな時は、もちろん、一人ではありませんでしたが。
高校生の頃は、私も元気のない表情をしていたかもしれません。毎朝のように遅刻をしていました。朝、なかなか起きない私を起こそうと、母親が「ロスケが根室に攻めてきたよ」(時代を感じますね)と耳元で叫んだことがありました。その時は、何だか大変なことが起こったと思い飛び起きたのですが、何度も効果のある起こし方ではなかったようです。
当時、NHKの朝のドラマは8時15分から8時30分まででしたが、私はそれを観てから学校に行くのが常でした。私の家は学校に数百メートルという距離でしたが、朝のホームルームは8時40分からでしたので、いつもぎりぎり間に合わないのでした。走るように登校した時でも、前の入り口から担任の先生が入ると同時に、私が後ろの入り口から教室に入るという有様でした。
さて、学校に行くことはウキウキ楽しいものではないのでしょうか。
そう、私にとって、それはそんなに楽しいものではありませんでした。学校での勉強は、確かに苦痛を伴うものでした。ただ、学校での勉強は「苦痛を伴い、面白くなく、できればしたくない」というようなことを我慢してするものである、と思っていました。私の場合、楽しくはないが、我慢してやっていると少しは楽しいこともある、というのが学校生活ではなかったかと思います。(もちろん、知的好奇心満々で勉強に向かわれた方もいらっしゃると思います)
ですから、勉強をしに学校に行くことは、そんなに楽しいものではありませんでした。しかし、学校に行くということに付随しているさまざまなことの中には、子どもをウキウキと楽しくさせることがたくさんあったと思われます。
そこで、やはり思うのです。親御さんには、子どもに「勉強しなさい」と言って欲しいのです。「早く学校に行きなさい」と言って欲しいのです。
学校の先生には、「きちんと座りなさい」「宿題はどうしたの」と言って欲しいのです。
子ども達には、親の言うこと先生の言うことを、人生の先輩からの教訓として、しょうがない思いで耳を傾けて欲しいのです。学校での勉強は苦痛ですが、我慢しながらそのすき間に楽しいことを見つけて欲しいのです。すき間で見つける楽しみは、100%の楽しみよりもずっと魅力的なものなのです。こどもは遊びの天才であって欲しいと思います。
大人は、子どもにとっての壁・ハードル、古い世界の抵抗勢力です。子どもは、それを乗り越えて成長します。
親、ガンバレ! 子ども、ガンバレ!
平成22年9月 教育長
小 谷 木 透
毎朝、小学生・中学生・高校生とすれ違ったりいっしょになったりします。いつも感じるのは、子ども達の表情にあまり元気がないということです。元気がないように見えるということです。子どもは石を見たり、草花や虫を見ながら、時には何かを考えながら歩いていますので、下を向いているからといって元気がないとは限らないのですが、それにしても何か、私は違和感を感じるのですが、思い過ごしでしょうか。
晴れた日もあり、雨の日もあります。子ども達も、朝、誰かとけんかして家を出てきたのかもしれません。朝食を食べてこなかったかもしれません。嫌いな授業が2時間ある日なのかもしれません。
自分の子ども時代はどうだったのか、思い出してみました。
ほとんどの親は、子どもが学校を休むことを簡単には許してくれませんでした。また、家にいるよりは何かがあるのではと、子どもの好奇心をくすぐるのが学校というものだったのではないでしょうか。
小学生の頃は、仲の良い友達と誘い合って学校に行っていました。雨の日には、長靴と合羽で、靴の
中に水が入らない程度の水たまりを探し、わざとその中を通りました。時に、予想したよりも深い水たまりで、靴の中が水浸しになりましたが、長靴を逆さにし水を出して歩いて行きました。靴の中も靴下も、そしてズボンもぐしょぐしょになったはずですが、そのことでとても困ったという記憶はありません。
中学生の頃は、最短距離を通って学校に行くことはありませんでした。坂を上り階段を下りる。他所の家の庭を通り、犬に吠えられる。道路ではないところを選りすぐって進みました。時には、いつもより相当早起きし、転校生で勉強が出来かわいい女の子の家の側を通るために、よそ見しながらでも30分もかからない道を40分50分かけて遠回りをしました。家の陰から、様子をそっと窺うのでした。そんな時は、もちろん、一人ではありませんでしたが。
高校生の頃は、私も元気のない表情をしていたかもしれません。毎朝のように遅刻をしていました。朝、なかなか起きない私を起こそうと、母親が「ロスケが根室に攻めてきたよ」(時代を感じますね)と耳元で叫んだことがありました。その時は、何だか大変なことが起こったと思い飛び起きたのですが、何度も効果のある起こし方ではなかったようです。
当時、NHKの朝のドラマは8時15分から8時30分まででしたが、私はそれを観てから学校に行くのが常でした。私の家は学校に数百メートルという距離でしたが、朝のホームルームは8時40分からでしたので、いつもぎりぎり間に合わないのでした。走るように登校した時でも、前の入り口から担任の先生が入ると同時に、私が後ろの入り口から教室に入るという有様でした。
さて、学校に行くことはウキウキ楽しいものではないのでしょうか。
そう、私にとって、それはそんなに楽しいものではありませんでした。学校での勉強は、確かに苦痛を伴うものでした。ただ、学校での勉強は「苦痛を伴い、面白くなく、できればしたくない」というようなことを我慢してするものである、と思っていました。私の場合、楽しくはないが、我慢してやっていると少しは楽しいこともある、というのが学校生活ではなかったかと思います。(もちろん、知的好奇心満々で勉強に向かわれた方もいらっしゃると思います)
ですから、勉強をしに学校に行くことは、そんなに楽しいものではありませんでした。しかし、学校に行くということに付随しているさまざまなことの中には、子どもをウキウキと楽しくさせることがたくさんあったと思われます。
そこで、やはり思うのです。親御さんには、子どもに「勉強しなさい」と言って欲しいのです。「早く学校に行きなさい」と言って欲しいのです。
学校の先生には、「きちんと座りなさい」「宿題はどうしたの」と言って欲しいのです。
子ども達には、親の言うこと先生の言うことを、人生の先輩からの教訓として、しょうがない思いで耳を傾けて欲しいのです。学校での勉強は苦痛ですが、我慢しながらそのすき間に楽しいことを見つけて欲しいのです。すき間で見つける楽しみは、100%の楽しみよりもずっと魅力的なものなのです。こどもは遊びの天才であって欲しいと思います。
大人は、子どもにとっての壁・ハードル、古い世界の抵抗勢力です。子どもは、それを乗り越えて成長します。
親、ガンバレ! 子ども、ガンバレ!
平成22年9月 教育長
小 谷 木 透
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中標津町 電話番号:0153-73-3111FAX:0153-73-5333
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