想定外から教育が始まる
イタリアで原子力発電についての国民投票があり、94パーセントが反対票を投じたという事実。福島での事故の影響も大きかったということですが、当の日本において「原子力発電反対」の大合唱が起きないのはなぜなのか。先日、世論調査の結果が新聞やテレビで報道されていましたが、安全を第一に考え、このままでいいとは思わない人が過半数を占めているようでした。しかし、それは反対の大合唱ではないようです。
なぜ反対しないかの大きな理由は、「より一層安全の確保をすれば大丈夫である」「エネルギーとしての電力を減らすわけにいかない」とありました。
どちらも、事実・真実ではなく、「神話」としか思えません。
事故のほとんどは、想定外だから起こるものです。また、これらの理由の中には「我々の生活はこれでいいのか」「我々の社会はこれでいいのか」という視点の思索や判断がないように感じられます。また、チェルノブイリや福島のように、その地に住めなくなることがあるにもかかわらず、それでも原子力発電が必要だと判断するのは、単に、自分には何の被害も及ばないという「楽観主義」「無責任主義」ではないのでしょうか。
そんなことを考えていた時、北海道新聞に、ドイツの前首相シュレーダー氏のインタビュー記事が載っていました。ドイツの脱原発政策について語っている中に、次のような言葉がありました。
なぜ反対しないかの大きな理由は、「より一層安全の確保をすれば大丈夫である」「エネルギーとしての電力を減らすわけにいかない」とありました。
どちらも、事実・真実ではなく、「神話」としか思えません。
事故のほとんどは、想定外だから起こるものです。また、これらの理由の中には「我々の生活はこれでいいのか」「我々の社会はこれでいいのか」という視点の思索や判断がないように感じられます。また、チェルノブイリや福島のように、その地に住めなくなることがあるにもかかわらず、それでも原子力発電が必要だと判断するのは、単に、自分には何の被害も及ばないという「楽観主義」「無責任主義」ではないのでしょうか。
そんなことを考えていた時、北海道新聞に、ドイツの前首相シュレーダー氏のインタビュー記事が載っていました。ドイツの脱原発政策について語っている中に、次のような言葉がありました。
われわれは『原子力は人類が制御できない科学技術である』との見解に達していた。原発は、ミスに寛容でないのだ。そして、人間はさまざまな判断でミスをする。人類にふさわしくないこの技術を止めようと全力を挙げた。
私は、これが哲学だと思いました。そう思えば思うほど、日本の政治家には哲学がないと思わざるを得ません。哲学のない政治家は政治家であってほしくないと思います。
私は、シュレーダー氏の言葉に、「機械は故障する」「人間は、起こりうる全てを想定できる神ではない」との言葉もつけ加えたいと思います。
私は、シュレーダー氏の言葉に、「機械は故障する」「人間は、起こりうる全てを想定できる神ではない」との言葉もつけ加えたいと思います。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ところで、この大震災で日本の社会が変化するという論調を目にし、耳にします。私も、そのように感じる一人ですが、どのように変わるのかはよく分かりません。ただ、変わらなければならないという感覚は持っています。確かに、何かが問われているのです。私たちは、問われていることを正確に把握することなく、トンチンカンな答えを出すことがあります。しかし、この問題はそうはいきません。大震災・原発事故で問われていることは何なのか、真剣な思索と議論により把握し、答えを出さなければなりません。
また、社会の変化とともに、当然のごとく「教育の世界」も変わらなければならないはずです。
まず、何よりも人間や人間の在り方を大切にする「哲学」が必要です。次に、「幅がある」あるいは「多視点からの」発想や物事のとらえが求められる。そして、「内実」や「責任」などと考えているのですが、いかがでしょうか。
また、社会の変化とともに、当然のごとく「教育の世界」も変わらなければならないはずです。
まず、何よりも人間や人間の在り方を大切にする「哲学」が必要です。次に、「幅がある」あるいは「多視点からの」発想や物事のとらえが求められる。そして、「内実」や「責任」などと考えているのですが、いかがでしょうか。
よく研究授業に取り組み、教師としての研鑽を積もうとする先生が、素晴らしい指導案を作成し研究授業に臨む時、とにかく指導案どおりの授業をしようとするこ とがあります。熱心な先生ほど指導案から外れないように努力します。しかし、子どもはさまざまな発想や思考をします。ですから、授業が指導案どおりになら ないのも致し方ないことです。何人もの違う人間が一つの発問・質問に同じ答え・結論を出すことなどあり得ないからです。その現実を無理やり指導案にあては めようとしたり、あてはまらないものを無視する必要などないのです。
指導案から外れることにこそ意味があるのです。教師が想定したところからはみ出し、教師の発想を乗り越えて行くことにこそ意味があるのです。原発事故における想定外は人生を破壊し地域社会を破壊しますが、教育においては、想定外の答えが出てきた時が学習の始まりです。
想定外をしっかりと受け止める教育が大切です。
指導案から外れることにこそ意味があるのです。教師が想定したところからはみ出し、教師の発想を乗り越えて行くことにこそ意味があるのです。原発事故における想定外は人生を破壊し地域社会を破壊しますが、教育においては、想定外の答えが出てきた時が学習の始まりです。
想定外をしっかりと受け止める教育が大切です。
平成23年6月 教育長
小 谷 木 透
小 谷 木 透
このページの情報に関するお問い合わせ先
中標津町 電話番号:0153-73-3111FAX:0153-73-5333
中標津町 電話番号:0153-73-3111FAX:0153-73-5333