夢現(ゆめうつつ)
私は、何度も見る夢の中で、とても嫌だなと思い、何とか目覚めその夢を早く終わらせたいと思う夢が三つあります。
一つは、どこまでも何かに追いかけられ、私は走って逃げるのですが、私の行く先は崖であり、どうしようという夢です。
二つ目は、中学生の美術の時間、私は、絵の具なのか筆なのか何なのか分からないのですが、何かを忘れて困った、先生に言わなければならないし、取りに帰るべきか誰かに借りるべきか、どうしようどうしようと思っている夢です。
三つ目は、私が正式ではない時間講師のような臨時職の教員をしています。ところが、契約期間がきてしまい、私は仕事を失う。一体、これからどうしたらいいのかという夢です。不思議なことに、年齢は、その時その時の実際の私の年齢なのです。近年、この夢の中での私は60歳を直前にした年齢なのです。そんな年齢で、仕事がなくなり、生活ができなくなってしまうのです。この夢を見て目覚めた朝、私は、妻に「また、仕事がなくなる夢を見たよ」と報告します。
さて、それでは夢の分析をしなければなりません。
一つ目の追いかけられる夢ですが、追いかけられて逃げた体験を私の人生の中に探ってみますと、小学校の四五年生の頃、家と学校の間にこんもりと樹木に囲まれた古いお屋敷があり、朽ちかけもう人が住んでいる様子はありませんでした。友達数人で、そこに探検に出かけたのですが、道路から数十メートル奥にあるそのお屋敷のそばまで行き、二階の窓に向けて石を投げることになりました。カチャーンと軽く青空に響くような音が数回したとき、突然、家の中から「こらー、何をやってるんだ」という大きな声とともに、大人の男の人が飛び出してきました。この後、必死で逃げたのですが、それ以後の記憶は残っていません。
二つ目の忘れ物の夢ですが、私は小学生の頃も中学生の頃も、よく忘れ物をして家に取りに帰っていました。私の家では、前日の夜に次の日の用意を確認すること、また、寝る時には自分の服はきちんと畳んで風呂敷に包み、枕元に置いておくことを躾けられました。ですから、きちんと揃えてあったはずなのですが、 きっと用意する時に、既に頭の中から抜けていたことが多かったのだと思います。
忘れ物では、よく怒られていました。ただ、殴られたり叩かれたりしたという記憶はあまりありません。叩かれた記憶では、中学生の頃、放課後の教室で机の上に座り友達と話していたところ、廊下を通りかかった学校で一番恐ろしい体育の先生に「勉強をしたり食事をしたりする机に腰掛けるとは何事だ。お前のようなやつは、豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ」と怒鳴られ、これ以上は無いというくらいのげんこつをもらいました。その時、これからは絶対に机には腰掛けまいと思ったことを覚えています。
三つ目の失業の夢です。
この夢を見た後は、冷や汗をかくような思いで目覚めます。私は大学を卒業し、就職もせず二年ほど東京で生活をしていました。いろいろなアルバイトもしましたが、実家に世話になったり、時には近くにいた姉に世話になったりしていました。自分自身、何かをしたいということもなく、そんな生活をしていてもいいのだと思っていました。
正確には、どうしたらいいのかよく分からなかったのです。もちろん、働きたくないということではなかったのですが……、客観的には怠けているとしか映らなかったと思います。
私の姉は私の友達と結婚していたので、毎日のように姉の部屋(友達の部屋)に入り浸っていました。二人とも仕事があるので、アパートを朝早くに出て行きました。
前日夜遅くまで起きていたある朝、二人は飛び起きると、眠い目をこすりながら仕事に出かけました。それから、さらに一時間二時間と、私は眠っていたでしょうか。南の窓からさす光に目覚め、布団をたたみ部屋の掃除をしました。その後、明るい部屋の畳の上にひとり座っていると、とても不安な気持ちに襲われました。悲しくはないのに、涙も流れてきました。誰もいない部屋でしたが、声を出すことなく「これから、どうしよう」と頭の中で呟いていました。
あれから三十数年、夢というものは執念深いものですね。
一つは、どこまでも何かに追いかけられ、私は走って逃げるのですが、私の行く先は崖であり、どうしようという夢です。
二つ目は、中学生の美術の時間、私は、絵の具なのか筆なのか何なのか分からないのですが、何かを忘れて困った、先生に言わなければならないし、取りに帰るべきか誰かに借りるべきか、どうしようどうしようと思っている夢です。
三つ目は、私が正式ではない時間講師のような臨時職の教員をしています。ところが、契約期間がきてしまい、私は仕事を失う。一体、これからどうしたらいいのかという夢です。不思議なことに、年齢は、その時その時の実際の私の年齢なのです。近年、この夢の中での私は60歳を直前にした年齢なのです。そんな年齢で、仕事がなくなり、生活ができなくなってしまうのです。この夢を見て目覚めた朝、私は、妻に「また、仕事がなくなる夢を見たよ」と報告します。
さて、それでは夢の分析をしなければなりません。
一つ目の追いかけられる夢ですが、追いかけられて逃げた体験を私の人生の中に探ってみますと、小学校の四五年生の頃、家と学校の間にこんもりと樹木に囲まれた古いお屋敷があり、朽ちかけもう人が住んでいる様子はありませんでした。友達数人で、そこに探検に出かけたのですが、道路から数十メートル奥にあるそのお屋敷のそばまで行き、二階の窓に向けて石を投げることになりました。カチャーンと軽く青空に響くような音が数回したとき、突然、家の中から「こらー、何をやってるんだ」という大きな声とともに、大人の男の人が飛び出してきました。この後、必死で逃げたのですが、それ以後の記憶は残っていません。
二つ目の忘れ物の夢ですが、私は小学生の頃も中学生の頃も、よく忘れ物をして家に取りに帰っていました。私の家では、前日の夜に次の日の用意を確認すること、また、寝る時には自分の服はきちんと畳んで風呂敷に包み、枕元に置いておくことを躾けられました。ですから、きちんと揃えてあったはずなのですが、 きっと用意する時に、既に頭の中から抜けていたことが多かったのだと思います。
忘れ物では、よく怒られていました。ただ、殴られたり叩かれたりしたという記憶はあまりありません。叩かれた記憶では、中学生の頃、放課後の教室で机の上に座り友達と話していたところ、廊下を通りかかった学校で一番恐ろしい体育の先生に「勉強をしたり食事をしたりする机に腰掛けるとは何事だ。お前のようなやつは、豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ」と怒鳴られ、これ以上は無いというくらいのげんこつをもらいました。その時、これからは絶対に机には腰掛けまいと思ったことを覚えています。
三つ目の失業の夢です。
この夢を見た後は、冷や汗をかくような思いで目覚めます。私は大学を卒業し、就職もせず二年ほど東京で生活をしていました。いろいろなアルバイトもしましたが、実家に世話になったり、時には近くにいた姉に世話になったりしていました。自分自身、何かをしたいということもなく、そんな生活をしていてもいいのだと思っていました。
正確には、どうしたらいいのかよく分からなかったのです。もちろん、働きたくないということではなかったのですが……、客観的には怠けているとしか映らなかったと思います。
私の姉は私の友達と結婚していたので、毎日のように姉の部屋(友達の部屋)に入り浸っていました。二人とも仕事があるので、アパートを朝早くに出て行きました。
前日夜遅くまで起きていたある朝、二人は飛び起きると、眠い目をこすりながら仕事に出かけました。それから、さらに一時間二時間と、私は眠っていたでしょうか。南の窓からさす光に目覚め、布団をたたみ部屋の掃除をしました。その後、明るい部屋の畳の上にひとり座っていると、とても不安な気持ちに襲われました。悲しくはないのに、涙も流れてきました。誰もいない部屋でしたが、声を出すことなく「これから、どうしよう」と頭の中で呟いていました。
あれから三十数年、夢というものは執念深いものですね。
平成24年1月 教育長
小 谷 木 透
小 谷 木 透
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中標津町 電話番号:0153-73-3111FAX:0153-73-5333
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