私のものの感じ方・とらえ方
1年以上前に、釧路新聞のコラムを書く機会を与えられ1週間書いたことがありました。最近、ある方にどんなことを書いたのかと訊かれましたので、私のものの感じ方やとらえ方を知っていただけるのかと思い、ここに再掲することにしました。
(1) 考える
現代の日本人は、考えることから遠ざかっている。考える能力が落ちている。考えることが出来ないほど忙しい。考える必要がない。考えたくない。誰かが考えさせないようにしている。
さて、出来るのは「考える能力が落ちている」ということに対処すること。私達は日本語で考えている。だから、日本語の教育をしっかりしなければならない。たくさんの語彙がなければ、思考も単純・短絡的になるだろう。言葉の意味も使い方も知らなければならない。漢字だって読めて書けなければ、思考に欠落が生じる。
(2) 走る
高校2年生の体育の時間、50メートル走のタイムを計っていた。二人並んで走るのだが、私は走るのが苦手で、懸命になると目をつぶって走る癖があった。
その時も、目をつぶって必死に走っていたのだが、ふと目をあけると、私はグランド横の土手の上を走っていた。もちろん、並んでスタートしたもう一人は、ゴール直前であった。
大人になってからも走ることは苦手ではあったが、嫌いではなかった。ただ、近年のぐうたらな日々の中で、走ることは生活の中から消えていった。
(3) 歌う
私は、カラオケが苦手である。
小学校1年生の1学期の音楽の成績は「5」であった。しかし、2学期の家庭訪問の折、担任の先生が、「音楽の時間、合唱をすると、一人調子の外れている子がいたのですが、お宅のお子さんでした」と言われたということを、母から聞かされた記憶がある。調子外れは事実だが、先生が本当にそんなことを言ったのかどうか……。
ただ、私が音楽で「5」をいただいたのは小学校1年生の1学期が最初で最後であった。私は大人になっても音痴だが、歌を聞くのは結構好きである。
(4) 歩く
通勤は、徒歩で20分弱である。自動車を使えば5分ほどで着いてしまうのだが、見える景色が違う。青空に見とれながら歩いていると、ついでに電線のカラスにも見とれてしまう。運転の時は、道の前方は注意して見るが、横道の奥を見ることはない。
歩いていると、ゴミに目がとまる。次に、道端の草花や知らないお宅の庭に咲く花に惹かれる。横道が気になり、曲がってしまう。そんな調子なので、20分では着かない。随分歩くのだが、「そんな歩き方ではダイエットにならないわよ」と妻に言われる。
(5) 見る
正四角錐という立体がある。底面から見ると正方形。正方形の辺を向けて正面から見ると三角形。正方形の角を向けて斜め上方から見ると変てこな四角形。中学校に勤務していた頃、手作りの立体を手に、集会で生徒に話した。
もちろん、一つの物も、見る位置によって違って見える。物事や人間も同じである。常に二つ以上の視点を持たなければ、真実は見えてこない。そんなことを伝えようとした。
だが、今の政治状況や社会状況、幾つの視点から見ても、真実が見えてこないことの方が多い。
(6) 読む
蒲団に入ると、睡眠薬の代わりに小説を読む。栞のページの1行空きの次から読み始める。ああ、昨夜読んだところだと思う。思う間もなく眠ってしまう。きっと、明日の夜も同じことが繰り返されるのだ。
20代の頃、感動して読んだ、涙を流しながら読んだ小説を本棚から引っ張り出して読んでみた。モーパッサンの「女の一生」も、森鴎外訳の「即興詩人」も、新鮮な感動を覚えた。主人公の名前もストーリーも、全て忘れてしまっていたせいである。きっと、また何年後かに感動できる。
(7) 阿る
若い人がパソコンを使って書いた文章に、結構難しい言葉が使われている。それも漢字で書かれている。漢字自体は変換キーを押せばいいのだからと思うが、言葉そのものを知らなければ使えない。若者に阿るわけではないが、その意味では感心している。
漢字は意識して練習するか、数多くの読書によって身につくものだ。学校で使う国語の教科書には、常用漢字表に遠慮することなく、ルビをつけた漢字をどんどん使うべきではないか。必要なら辞書を引けばよい。漢字は、日本人にとって思考の重要な道具である。
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(1) 考える
現代の日本人は、考えることから遠ざかっている。考える能力が落ちている。考えることが出来ないほど忙しい。考える必要がない。考えたくない。誰かが考えさせないようにしている。
さて、出来るのは「考える能力が落ちている」ということに対処すること。私達は日本語で考えている。だから、日本語の教育をしっかりしなければならない。たくさんの語彙がなければ、思考も単純・短絡的になるだろう。言葉の意味も使い方も知らなければならない。漢字だって読めて書けなければ、思考に欠落が生じる。
(2) 走る
高校2年生の体育の時間、50メートル走のタイムを計っていた。二人並んで走るのだが、私は走るのが苦手で、懸命になると目をつぶって走る癖があった。
その時も、目をつぶって必死に走っていたのだが、ふと目をあけると、私はグランド横の土手の上を走っていた。もちろん、並んでスタートしたもう一人は、ゴール直前であった。
大人になってからも走ることは苦手ではあったが、嫌いではなかった。ただ、近年のぐうたらな日々の中で、走ることは生活の中から消えていった。
(3) 歌う
私は、カラオケが苦手である。
小学校1年生の1学期の音楽の成績は「5」であった。しかし、2学期の家庭訪問の折、担任の先生が、「音楽の時間、合唱をすると、一人調子の外れている子がいたのですが、お宅のお子さんでした」と言われたということを、母から聞かされた記憶がある。調子外れは事実だが、先生が本当にそんなことを言ったのかどうか……。
ただ、私が音楽で「5」をいただいたのは小学校1年生の1学期が最初で最後であった。私は大人になっても音痴だが、歌を聞くのは結構好きである。
(4) 歩く
通勤は、徒歩で20分弱である。自動車を使えば5分ほどで着いてしまうのだが、見える景色が違う。青空に見とれながら歩いていると、ついでに電線のカラスにも見とれてしまう。運転の時は、道の前方は注意して見るが、横道の奥を見ることはない。
歩いていると、ゴミに目がとまる。次に、道端の草花や知らないお宅の庭に咲く花に惹かれる。横道が気になり、曲がってしまう。そんな調子なので、20分では着かない。随分歩くのだが、「そんな歩き方ではダイエットにならないわよ」と妻に言われる。
(5) 見る
正四角錐という立体がある。底面から見ると正方形。正方形の辺を向けて正面から見ると三角形。正方形の角を向けて斜め上方から見ると変てこな四角形。中学校に勤務していた頃、手作りの立体を手に、集会で生徒に話した。
もちろん、一つの物も、見る位置によって違って見える。物事や人間も同じである。常に二つ以上の視点を持たなければ、真実は見えてこない。そんなことを伝えようとした。
だが、今の政治状況や社会状況、幾つの視点から見ても、真実が見えてこないことの方が多い。
(6) 読む
蒲団に入ると、睡眠薬の代わりに小説を読む。栞のページの1行空きの次から読み始める。ああ、昨夜読んだところだと思う。思う間もなく眠ってしまう。きっと、明日の夜も同じことが繰り返されるのだ。
20代の頃、感動して読んだ、涙を流しながら読んだ小説を本棚から引っ張り出して読んでみた。モーパッサンの「女の一生」も、森鴎外訳の「即興詩人」も、新鮮な感動を覚えた。主人公の名前もストーリーも、全て忘れてしまっていたせいである。きっと、また何年後かに感動できる。
(7) 阿る
若い人がパソコンを使って書いた文章に、結構難しい言葉が使われている。それも漢字で書かれている。漢字自体は変換キーを押せばいいのだからと思うが、言葉そのものを知らなければ使えない。若者に阿るわけではないが、その意味では感心している。
漢字は意識して練習するか、数多くの読書によって身につくものだ。学校で使う国語の教科書には、常用漢字表に遠慮することなく、ルビをつけた漢字をどんどん使うべきではないか。必要なら辞書を引けばよい。漢字は、日本人にとって思考の重要な道具である。
平成24年4月 教育長
小 谷 木 透
小 谷 木 透
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中標津町 電話番号:0153-73-3111FAX:0153-73-5333
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