旬
先日、テレビを観ていたら、コスモスの花が風に揺れる姿が映し出されていました。
「コスモスも咲き始めました」というコメントの後に、「コスモスは短日植物ですが、最近は品種改良されまして早く咲くものもあるようです」という説明を聞きました。短日植物ですから、本来は、日が短くなったことを感じて咲き始めるのですが……。
また、最近は「トマト」にしても「スイカ」や「リンゴ」にしても、年中店頭に並べられています。「美味しいか美味しくないかは別にしても、それは有難い」と言いたいところですが、(栽培している農家の方には申し訳ありませんが)どうしても『旬』を外れたものは、味も今ひとつのような気がします。なぜ、年から年中いろいろな物を食べなければならないのか、もしくは食べたいのか。その物の美味しい『旬』の時期に食べればいいと思うのですが、いかがなものでしょうか。魚にしても、冷凍技術が進歩したせいで、野菜や果物と同じような状況なのですが、初鰹は春に、トキシラズや紅鮭は初夏から夏に、そして秋刀魚は秋に、と思ってしまうのです。
『旬』は食べ物だけではないようです。「旬の人」「人生の旬の時期」などもあるようです。「旬の人」というと、中標津町では小林町長でしょうか。選挙も無投票で二期目に向かうわけですが、小林町長の「子どもたちに胸を張って誇れる故郷」という言葉を聞く度に、子ども達を大切に教育を大切にする姿勢を感じ、大変心強く思います。
先日、根室教育局主催による「根室の未来(あす)を考える教育フォーラム」が中標津町で開催されました。中標津在住のお二人が基調講演をされましたが、お一人は「まちとくらしネットワークフォーラム中標津」の長谷川淳さんでした。彼は、「学校の先生にサラリーマン化して欲しくない。競争を取り入れることで、学力は向上するのではないか。民間を基点に寺子屋のようなものを作り、学力を向上させたい子どもに対応してはどうか」というようなお話をされました。
もうお一人は「町役場・町民生活部・子育て支援室」の高松絵里子さんでした。彼女は、「中標津の児童館を基点に、遊びで勉強が可能ではないか。よく遊びよく学べ」というお話をされました。
お二人は、中標津町の教育にとって、まさに『旬』の人物と言えます。
ところで、「人生の旬の時期」というと、人それぞれで難しいのです。「オレは、いつも旬だ」とおっしゃる方もいるようです。ただ、一般論として、人生のそれぞれの時期の『旬』とは何かと考えてみます。子ども時代は、先ず「遊び」そして「勉強」。青春時代は、先ず「恋」そして「友情」「学問」「スポーツ」。成人してからはどうでしょう。先ず「仕事」そして「家族・家庭」。中年から老年にかけては、先ず「愛情」そして「哲学」でしょうか。
勝手な判断をしてしまいましたが、どの時期にもどの事柄にも共通してあるだろうと思われるのは「失敗」です。でも、失敗こそが人生の原動力になるのではないでしょうか。挫折することで、それを克服し、私たちは次のステップに向かって歩み始めるのではないでしょうか。「若いときの苦労は買ってもせよ」という言葉がありますが、失敗や挫折も若いときにしておいた方がいいと言います。
成人になってからの失敗は大きくもなり、年老いてからの挫折は辛いものがあります。そうは言いながら、何十年と生きてきた自分の人生を振り返ると、失敗と挫折ばかりであったなあと、苦笑いしながら俯いてしまいます。
「失敗」や「挫折」にも『旬』があるようです。子ども達がその時期その時期にふさわしい「失敗」や「挫折」ができるようにしてあげ、それを温かく見守ってあげるのが私たち大人の義務でもあります。
少々説教くさいお話になってしまいました。申し訳ありません。
「コスモスも咲き始めました」というコメントの後に、「コスモスは短日植物ですが、最近は品種改良されまして早く咲くものもあるようです」という説明を聞きました。短日植物ですから、本来は、日が短くなったことを感じて咲き始めるのですが……。
また、最近は「トマト」にしても「スイカ」や「リンゴ」にしても、年中店頭に並べられています。「美味しいか美味しくないかは別にしても、それは有難い」と言いたいところですが、(栽培している農家の方には申し訳ありませんが)どうしても『旬』を外れたものは、味も今ひとつのような気がします。なぜ、年から年中いろいろな物を食べなければならないのか、もしくは食べたいのか。その物の美味しい『旬』の時期に食べればいいと思うのですが、いかがなものでしょうか。魚にしても、冷凍技術が進歩したせいで、野菜や果物と同じような状況なのですが、初鰹は春に、トキシラズや紅鮭は初夏から夏に、そして秋刀魚は秋に、と思ってしまうのです。
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『旬』は食べ物だけではないようです。「旬の人」「人生の旬の時期」などもあるようです。「旬の人」というと、中標津町では小林町長でしょうか。選挙も無投票で二期目に向かうわけですが、小林町長の「子どもたちに胸を張って誇れる故郷」という言葉を聞く度に、子ども達を大切に教育を大切にする姿勢を感じ、大変心強く思います。
先日、根室教育局主催による「根室の未来(あす)を考える教育フォーラム」が中標津町で開催されました。中標津在住のお二人が基調講演をされましたが、お一人は「まちとくらしネットワークフォーラム中標津」の長谷川淳さんでした。彼は、「学校の先生にサラリーマン化して欲しくない。競争を取り入れることで、学力は向上するのではないか。民間を基点に寺子屋のようなものを作り、学力を向上させたい子どもに対応してはどうか」というようなお話をされました。
もうお一人は「町役場・町民生活部・子育て支援室」の高松絵里子さんでした。彼女は、「中標津の児童館を基点に、遊びで勉強が可能ではないか。よく遊びよく学べ」というお話をされました。
お二人は、中標津町の教育にとって、まさに『旬』の人物と言えます。
ところで、「人生の旬の時期」というと、人それぞれで難しいのです。「オレは、いつも旬だ」とおっしゃる方もいるようです。ただ、一般論として、人生のそれぞれの時期の『旬』とは何かと考えてみます。子ども時代は、先ず「遊び」そして「勉強」。青春時代は、先ず「恋」そして「友情」「学問」「スポーツ」。成人してからはどうでしょう。先ず「仕事」そして「家族・家庭」。中年から老年にかけては、先ず「愛情」そして「哲学」でしょうか。
勝手な判断をしてしまいましたが、どの時期にもどの事柄にも共通してあるだろうと思われるのは「失敗」です。でも、失敗こそが人生の原動力になるのではないでしょうか。挫折することで、それを克服し、私たちは次のステップに向かって歩み始めるのではないでしょうか。「若いときの苦労は買ってもせよ」という言葉がありますが、失敗や挫折も若いときにしておいた方がいいと言います。
成人になってからの失敗は大きくもなり、年老いてからの挫折は辛いものがあります。そうは言いながら、何十年と生きてきた自分の人生を振り返ると、失敗と挫折ばかりであったなあと、苦笑いしながら俯いてしまいます。
「失敗」や「挫折」にも『旬』があるようです。子ども達がその時期その時期にふさわしい「失敗」や「挫折」ができるようにしてあげ、それを温かく見守ってあげるのが私たち大人の義務でもあります。
少々説教くさいお話になってしまいました。申し訳ありません。
平成24年8月 教育長
小 谷 木 透
小 谷 木 透
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中標津町 電話番号:0153-73-3111FAX:0153-73-5333
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