素朴に学ぶこと
平成25年7月31日更新
先日、町議会総務文教常任委員会の委員さんと町立学校の視察をしてまいりました。学校は夏休みを前にたいへん忙しい時期でしたが、学校経営について、校舎や施設についてお話をしていただき、さらには授業参観もさせていただきました。
二日間で12校の訪問という強行スケジュールでしたが、委員の皆さんにも学校現場の実態を知っていただくという意味で、たいへん良かったと思っています。
ある小学校で、英語の授業を参観しました。子どもたちが『I’m~~.』という言い回しをたくさん発表していました。
お昼前でしたので、当然ながら『I’m hungry.』と叫んだ子もいて、ほほえましく楽しい授業でした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
私の中学校時代の英語の先生は斉藤先生といいましたが、英語は三年間この先生に教えていただきました。斉藤先生は学級担任でもあり、私の通った中学校は三年間クラス替えのない学校でしたので、本当に三年間何から何までお世話になりました。
斉藤先生は、夏の晴れた日でも長靴を履き、風呂敷包みを持ち学校に通ってきていました。私自身、ズボンのベルトのお尻の辺りに、折った日本手拭いをぶら下げて学校に行っていたのですから、そんな時代だったのかもしれません。
斉藤先生の英語は、長靴と風呂敷そのままの『ジスイズアペンオンザデスク』というもので、ネイティブ・イングリッシュからはほど遠く、私たち生徒は馬鹿にしていましたが、私たちは斉藤先生が好きでした。
大人になってから、日本人は中学・高校と6年間も英語を学びながら、さっぱり喋れないし、受験勉強のためだけで何の役にも立っていないという論調に、「そうだよな~」と同感していました。
四十代半ば頃に、生まれて初めて海外旅行をしました。団体旅行でしたが、自由行動もあり、地下鉄に乗ったり地元のスーパーで買い物をしたりすることに胸わくわくしながら挑戦しました。もちろん、私の英語力は中学校時代の斉藤英語から進歩していなかったのですが、地下鉄のチケットも買えましたし、街中で突然はぐれてしまった妻とも一時間後に出会うことができました。
英語力は素晴らしく身についている方がいいに決まっています。でも、私は斉藤英語だっていいじゃないか、カタコトのなかなか通じない英語でコミュニケーションするのも楽しいじゃないか、とうそぶいてしまうのです。
日本の政治の中心あたりでは、英語学習開始のさらなる低年齢化が企図されつつあるようですが、私には、今本当に必要なのは日本語の学習ではないかと思われます。
子どもたちのコミュニケーション力が落ちていると言われて久しいのですが、私たち日本人にとって、他者を理解するために何よりも必要なのは『日本語力』『国語力』『言語力』ではないでしょうか。
子どもも大人も、単語だけですませる会話、文の終わりに『。』(句点)のないメールの文に何の疑問も持つことなくコミュニケーション力の向上などあるのでしょうか。
学習というものは、当人が本当に必要だと感じると、一生懸命になるものです。
その時、学習したことが初めて身につき力となるのではないでしょうか。
学校での学習はもっとおおらかで素朴なものでいいのではないでしょうか。
子どもたちを学習嫌いにさせず、たくさんのきっかけを与えてあげられればいいのではないでしょうか。
また、教育長としてはふさわしくない内容になってしまったでしょうか……
平成25年7月 教育長
先日、町議会総務文教常任委員会の委員さんと町立学校の視察をしてまいりました。学校は夏休みを前にたいへん忙しい時期でしたが、学校経営について、校舎や施設についてお話をしていただき、さらには授業参観もさせていただきました。
二日間で12校の訪問という強行スケジュールでしたが、委員の皆さんにも学校現場の実態を知っていただくという意味で、たいへん良かったと思っています。
ある小学校で、英語の授業を参観しました。子どもたちが『I’m~~.』という言い回しをたくさん発表していました。
お昼前でしたので、当然ながら『I’m hungry.』と叫んだ子もいて、ほほえましく楽しい授業でした。
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私の中学校時代の英語の先生は斉藤先生といいましたが、英語は三年間この先生に教えていただきました。斉藤先生は学級担任でもあり、私の通った中学校は三年間クラス替えのない学校でしたので、本当に三年間何から何までお世話になりました。
斉藤先生は、夏の晴れた日でも長靴を履き、風呂敷包みを持ち学校に通ってきていました。私自身、ズボンのベルトのお尻の辺りに、折った日本手拭いをぶら下げて学校に行っていたのですから、そんな時代だったのかもしれません。
斉藤先生の英語は、長靴と風呂敷そのままの『ジスイズアペンオンザデスク』というもので、ネイティブ・イングリッシュからはほど遠く、私たち生徒は馬鹿にしていましたが、私たちは斉藤先生が好きでした。
大人になってから、日本人は中学・高校と6年間も英語を学びながら、さっぱり喋れないし、受験勉強のためだけで何の役にも立っていないという論調に、「そうだよな~」と同感していました。
四十代半ば頃に、生まれて初めて海外旅行をしました。団体旅行でしたが、自由行動もあり、地下鉄に乗ったり地元のスーパーで買い物をしたりすることに胸わくわくしながら挑戦しました。もちろん、私の英語力は中学校時代の斉藤英語から進歩していなかったのですが、地下鉄のチケットも買えましたし、街中で突然はぐれてしまった妻とも一時間後に出会うことができました。
英語力は素晴らしく身についている方がいいに決まっています。でも、私は斉藤英語だっていいじゃないか、カタコトのなかなか通じない英語でコミュニケーションするのも楽しいじゃないか、とうそぶいてしまうのです。
日本の政治の中心あたりでは、英語学習開始のさらなる低年齢化が企図されつつあるようですが、私には、今本当に必要なのは日本語の学習ではないかと思われます。
子どもたちのコミュニケーション力が落ちていると言われて久しいのですが、私たち日本人にとって、他者を理解するために何よりも必要なのは『日本語力』『国語力』『言語力』ではないでしょうか。
子どもも大人も、単語だけですませる会話、文の終わりに『。』(句点)のないメールの文に何の疑問も持つことなくコミュニケーション力の向上などあるのでしょうか。
学習というものは、当人が本当に必要だと感じると、一生懸命になるものです。
その時、学習したことが初めて身につき力となるのではないでしょうか。
学校での学習はもっとおおらかで素朴なものでいいのではないでしょうか。
子どもたちを学習嫌いにさせず、たくさんのきっかけを与えてあげられればいいのではないでしょうか。
また、教育長としてはふさわしくない内容になってしまったでしょうか……
平成25年7月 教育長
小 谷 木 透
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中標津町 電話番号:0153-73-3111FAX:0153-73-5333
中標津町 電話番号:0153-73-3111FAX:0153-73-5333