他人事
平成27年5月11日更新
1975年4月、15年間も続いたベトナム戦争が終結した。今年はそれから40年ということである。40年前のその時か、あるいはそれより二年前の1973年1月の『パリ和平協定』の時であったか定かではないが、私は日記に「結局、それは他人の喧嘩でしかない」と書いた記憶がある。今思うと何という言葉なのかと思う。釧路市で高校生であった頃、クラスの何人もの人が行くということで、北大通りでのベ平連(ベトナムに平和を市民連合)のデモに参加し、「ベトナム戦争反対」と叫んでいた自分をどのように考えていたのか……。その時の心境をたどるのは難しいが、たぶん失恋で前も後ろもよく見えていなかった時期だったのではないかと、言い訳を言ってみたくなる。
「ひとごと」と辞書を引くと「人事」「他人事」と出ているが、私は「他人事」のほうがピタリとくる。私の書いた「他人の喧嘩」という言葉は、まさにベトナム戦争を「他人事」と感じていることの、自分への表明であった。
4月末の、アメリカ合衆国議会での安倍総理大臣の演説の解説をテレビのニュースで見ていた時、聞いていて少しの違和感を感じ、新聞に掲載されていた演説内容を改めて読んでみました。安保法制にかかわって「そのために必要な法案の成立を、この夏までに、必ず実現します」と書かれていました。そして、太平洋戦争についての反省の部分では「自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない」と書かれてありました。
さて、語尾の問題ですが、「~します」という語尾には話している人の強い意志が感じられます。しかし「~ならない」という語尾は、誰かに向かって「こうこう、こうなんですよ」と話しかけている感覚があります。話している本人の強い意志というよりは、「一般論としてはこういうことです」ということで、まさに「他人事」の表明という感覚ではないでしょうか。自分の意志を表明するのならば、「目をそむけてはならない」ではなく「目をそむけません」あるいは「目をそむけることはありません」となるのではないでしょうか。ただ、英語での演説ですから、私の受け止めた感覚が正しいとは断言できません。しかし、まさか、奥様同伴でアメリカ訪問をされていた安倍総理大臣が失恋の痛手のなかにいたのだとも思えません……
スタートから硬い話になりました。
「他人事」の対義語(反対語)は何かと国語辞典を開いてみましたが、私の持っている辞書には載っていませんでした。「他人事」ですから、文字面を考えたとき常識的には「自分事」となるのかなとは思いますが、それも出ていないようです。「私事(わたくしごと)」という言葉もありますが、これが正解と言われますと「ちょっと、それは」と言いたくなります。「他人事」は少し突き放した感じ、「私事」は少し閉じこもった感じです。「他人事」の反対には、受容的なニュアンスがほしいのですが……、いかがですか。
ところで、吉野弘さんの『夕焼け』という詩をご存知でしょうか。
満員電車に乗っている娘さんが、自分の前に立つ年寄りに席を譲るのですが、二度三度と同じ状況が続き、最後には下唇をギュッと噛んで、身体をこわばらせて席を譲ることができなかったという内容です。先に電車を降りた作者の思いと想像が語られる最後の部分をご紹介します。
やさしい心の持ち主は/いつでもどこでも/われにもあらず受難者となる/
何故って/やさしい心の持ち主は/他人のつらさを自分のつらさのように/
感じるから。/やさしい心に責められながら/娘はどこまでゆけるだろう。/
下唇を噛んで/つらい気持ちで/美しい夕焼けも見ないで。
この娘さんの心のようなものが、また娘さんの心を想像する作者の心のようなものが、本当は「他人事」の反対語になるのではないかと思うのですが、……。
良きにつけ悪しきにつけ、言葉は人の心に響き、人と人とをつなぐものです。豊かな言葉を身につけたいものです。そのためには言葉を大切にすると同時に、言葉を身近なものとする言葉遊びもどんどんすべきではないでしょうか。最近、私と妻の間で語られ、二人で笑いあっている言葉遊びがあります。私がテレビを見ていて、妻に「インドのブッタ」だってと言ったところ、妻がよく聞こえなかったらしく、「えっ、近所のブタ?」と言ったのです。何度も言い合って笑っています。そんなことが、豊かな言葉を身につけることになるのかとお叱りを受けそうですが、まあ、お許しあれ。
1975年4月、15年間も続いたベトナム戦争が終結した。今年はそれから40年ということである。40年前のその時か、あるいはそれより二年前の1973年1月の『パリ和平協定』の時であったか定かではないが、私は日記に「結局、それは他人の喧嘩でしかない」と書いた記憶がある。今思うと何という言葉なのかと思う。釧路市で高校生であった頃、クラスの何人もの人が行くということで、北大通りでのベ平連(ベトナムに平和を市民連合)のデモに参加し、「ベトナム戦争反対」と叫んでいた自分をどのように考えていたのか……。その時の心境をたどるのは難しいが、たぶん失恋で前も後ろもよく見えていなかった時期だったのではないかと、言い訳を言ってみたくなる。
「ひとごと」と辞書を引くと「人事」「他人事」と出ているが、私は「他人事」のほうがピタリとくる。私の書いた「他人の喧嘩」という言葉は、まさにベトナム戦争を「他人事」と感じていることの、自分への表明であった。
4月末の、アメリカ合衆国議会での安倍総理大臣の演説の解説をテレビのニュースで見ていた時、聞いていて少しの違和感を感じ、新聞に掲載されていた演説内容を改めて読んでみました。安保法制にかかわって「そのために必要な法案の成立を、この夏までに、必ず実現します」と書かれていました。そして、太平洋戦争についての反省の部分では「自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない」と書かれてありました。
さて、語尾の問題ですが、「~します」という語尾には話している人の強い意志が感じられます。しかし「~ならない」という語尾は、誰かに向かって「こうこう、こうなんですよ」と話しかけている感覚があります。話している本人の強い意志というよりは、「一般論としてはこういうことです」ということで、まさに「他人事」の表明という感覚ではないでしょうか。自分の意志を表明するのならば、「目をそむけてはならない」ではなく「目をそむけません」あるいは「目をそむけることはありません」となるのではないでしょうか。ただ、英語での演説ですから、私の受け止めた感覚が正しいとは断言できません。しかし、まさか、奥様同伴でアメリカ訪問をされていた安倍総理大臣が失恋の痛手のなかにいたのだとも思えません……
スタートから硬い話になりました。
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「他人事」の対義語(反対語)は何かと国語辞典を開いてみましたが、私の持っている辞書には載っていませんでした。「他人事」ですから、文字面を考えたとき常識的には「自分事」となるのかなとは思いますが、それも出ていないようです。「私事(わたくしごと)」という言葉もありますが、これが正解と言われますと「ちょっと、それは」と言いたくなります。「他人事」は少し突き放した感じ、「私事」は少し閉じこもった感じです。「他人事」の反対には、受容的なニュアンスがほしいのですが……、いかがですか。
ところで、吉野弘さんの『夕焼け』という詩をご存知でしょうか。
満員電車に乗っている娘さんが、自分の前に立つ年寄りに席を譲るのですが、二度三度と同じ状況が続き、最後には下唇をギュッと噛んで、身体をこわばらせて席を譲ることができなかったという内容です。先に電車を降りた作者の思いと想像が語られる最後の部分をご紹介します。
やさしい心の持ち主は/いつでもどこでも/われにもあらず受難者となる/
何故って/やさしい心の持ち主は/他人のつらさを自分のつらさのように/
感じるから。/やさしい心に責められながら/娘はどこまでゆけるだろう。/
下唇を噛んで/つらい気持ちで/美しい夕焼けも見ないで。
この娘さんの心のようなものが、また娘さんの心を想像する作者の心のようなものが、本当は「他人事」の反対語になるのではないかと思うのですが、……。
良きにつけ悪しきにつけ、言葉は人の心に響き、人と人とをつなぐものです。豊かな言葉を身につけたいものです。そのためには言葉を大切にすると同時に、言葉を身近なものとする言葉遊びもどんどんすべきではないでしょうか。最近、私と妻の間で語られ、二人で笑いあっている言葉遊びがあります。私がテレビを見ていて、妻に「インドのブッタ」だってと言ったところ、妻がよく聞こえなかったらしく、「えっ、近所のブタ?」と言ったのです。何度も言い合って笑っています。そんなことが、豊かな言葉を身につけることになるのかとお叱りを受けそうですが、まあ、お許しあれ。
平成27年5月 教育長
小 谷 木 透
小 谷 木 透
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中標津町 電話番号:0153-73-3111FAX:0153-73-5333
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