第39回 危険と安全は隣り合わせ

◇危険と安全は隣り合わせ◇
 
 六月の風とともに、たんぽぽの花は綿毛となって飛んでいきました。五月半ば過ぎに気温30度の日があり、五月末から六月にかけて最高気温が10度に満たない寒い日があるというのも、考えてみれば毎年のことかなあと、ふと思ってしまいます。
 年齢を重ねると、年月や日々の過ぎるスピードが速く感じられるというのは本当ですが、それとともに、過去を振り返り比較することが多くなります。「昔もこんなことがあった」「昔はそんなふうにはしなかった」……

 19世紀初頭のロシアの詩人プーシキンに『エヴゲーニイ・オネーギン』という詩小説がありますが、その中に次のような一節があります。

「私は他の意欲の声を知った。新しい悲しみを知った。
だが,その意欲を満たす陶酔は今の私にはなく,また昔の悲しみがなつかしくもある。
おお,夢よ,空想よ!君らの甘さはどこへ行ったのか。
《甘さ》と並ぶ永遠の脚韻《若さ》はどこへ行ったのか。
青春の花冠がついに枯れしぼんだというのはまことか。
一編のエレジイも歌わずに,わが生涯の春が飛び去ったのはまことか。」

 私もたんぽぽの綿毛となり、間もなく飛んでいくのでしょうか。一編のエレジイも歌うことなく!?
 
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 中標津中学校の体育祭は暑すぎて、800M・1500M・100Mを参観しグランドを後にしました。広陵中学校の体育祭は寒すぎて、開会式を拝見し走るように帰りました。
 
 さて、私の子ども時代の運動会や体育祭はどうだったのか。音楽も音痴で、運動も音痴だった私には、基本的に楽しい思い出はないのですが、やはり昔も運動会の季節は寒かった記憶があります。その証拠として、当時の運動会の写真で写っている観客の様子は、ニコニコと笑っていても肩や頭から毛布を被っているものが何枚も残っていることです。
 寒さ以外の記憶といえば、一つには、運動会当日は運動靴ではなく運動足袋を履いていたことです。第二次大戦が終わってから十年と少し、運動靴がなかったのか買えなかったのか、あるいは運動靴よりも運動に適していたのか、いま考えてみてもよく分かりません。この足袋が、石を踏むと実に痛いのです。また、まれに釘を踏んで足に刺してしまうこともありました。しかし、当日の朝、玄関で真新しい運動足袋を履いて学校に向かうときのうれしさは、私のような者でも頬が緩んだものです。決してなかったのですが、一等賞を取れそうな気持ちで胸を張って歩いたものです。
 もう一つの記憶は、またまた痛い思い出です。小学生の頃には、私の身長は前から三番目くらいでしたが、中学生になると後ろから三番目くらいになりました。その結果、体育祭での騎馬戦やスタンツ(組み体操)で痛い思いをすることになりました。私はやせっぽちでしたが身長が後ろから三番目でしたので、騎馬戦では真ん中の馬の役、スタンツでは、特にピラミッドでは常に一番下でした。騎馬戦では、相手は必ず正面の馬にぶつかってきます。ピラミッドでは、上に次々と乗られるのを必死でこらえているのに、最後に全体がつぶれると衝撃と重みで泣きたくなったものでした。それでも、私は怪我一つした覚えがありませんし、周りでもそんなことはほとんどなかったようです。
 
 近年このスタンツ(組み体操)の是非が語られるようになり、全国的に去年・今年と事故による怪我があり、止めた方がいいという議論が沸騰しています。
 運動会のシーズン、中標津町でも何校かでスタンツに取り組みます。指導者は十分気をつけながら練習させていますが、町内でも練習中の怪我が発生しました。学校では、はっきりとした目的を持ってこの取り組みをしています。努力して練習し、本番での成功は達成感が大きいこと。また、チームワークが大切なことや我慢して頑張り抜くことを学び、豊かな成長に資するというようなことです。ただ、怪我が多いようだと考えなければなりません。何しろ、現代の子どもたちは外で異年齢の子ども同士がわけの分からない遊びをしたり、日常的に小さな怪我をすることが少なくなっていますから……
 間違いなく、安全はとても大切なことです。でも、人生においては安全なことばかりではありません。むしろ、危険や困難にぶち当たることの方が多いのではないでしょうか。そんなことを乗り越えながら全うするのが人生ではないのでしょうか。そのようなことの何もかもを横に置いたままで教育を行なうのは困難であり、また、教育という名に相応しくないのではないでしょうか。
 
 それにしても、一等賞も取れない痛いばかりの私の運動会・体育祭でした。でも、その思い出の中にも《甘さ》と《若さ》のかぐわしい匂いと涙の塩味が少々漂っています。



 
平成28年6月   教育長   小  谷  木  透