第45回 六月の雨はつめたく
次のような文章に出会いました。
「人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それは、むしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものだ」
「人を知ることは、その人の傷を知ることであり、そして愛することで、さらに新しい傷を作っていることに違いはないようです」
人は傷つけ合うことなしに調和することはない。確かにその通りなのでしょう。二つの文章は書いた人も時代もまったく違うのですから、より真理に近い言葉といえるのでしょう。では、人が構成している民族や国家そして宗教においてはどうなのでしょう。この真理が当てはまるとしても、殺し合いをしなければ調和に到れないのだとしたらとても悲しいことです。殺し合いをせずに調和の道を求めるのが人類の英知といえるのではないでしょうか。殺伐としたニュースが多すぎます。
町PTA連合会総会でのご挨拶で、私はあろうことか「PTAはなくてもいいのではないか」と言ってしまいました。この場を借りて何か言い訳をしたいのですが、上手い言葉が出てきません。私は、よく制度や組織を持て余している、あるいは機能しないことに不満を持っている様子に、「それなら、一度なくしてしまい、もし、必要ならまた作ればいいのではないですか」と言ってしまいます。非常に突き放した無責任な言葉のようで、よくお叱りを受けます。
PTAでは役員のなり手がいなかったり、順番でいやいやなった役員の方は会合に出てこなかったり、何か活動をするとなっても参加してくれるのはいつも同じ一部の役員だけ、という話を聞きます。そんなに多くの人が参加したくない組織なら、いらないと思われている組織なら、本当にいらないのではないでしょうか。町内会という組織も同じだと言われています。どちらも、会費を払いますが、任意団体ですから参加自由なのです。ただ、PTAでは任意団体であるにもかかわらず、半強制的に加入させられ、会費の納入も求められます。ですから、自分は活動しなくとも要求や不満は言うという現象が起きます。
今年度から、中標津町では学校運営協議会(コミュニティ・スクール)をスタートさせました。年度当初に3校でスタートし、年度内に全小中学校に設置いたします。学校運営協議会は会費をいただくような組織ではありません。学校は地域のものである、地域住民のものであるということを再確認した取り組みと考えています。教育委員会で期待しているのは、辛口のご意見とそれに基づく学校運営を支える実行力です。学校の敷居を低くし、地域の教育力を学校教育の充実に生かしていただきたいと思います。また、子どもたちの元気を町内会をはじめ地域全体に届け、地域が元気になっていただければと思います。両者にプラスをもたらしたいという贅沢な取り組みです。
多くの方のご協力をお願いいたします。
タイトルの「六月の雨はつめたく」は何なのだと問われそうなので説明しておきます。
六月の中標津は学校の運動会・体育祭の季節です。ところが、どなたもご存知のように六月の道東地方は、例年『蝦夷梅雨』と言われるように寒くて天候もよくありません。それでも、六月は毎週末にどこかの学校の運動会・体育祭が予定されています。
学校では、天気予報とにらめっこしながら、実施すべきか、延期すべきか、中止にしなければならないか、悩ましい思いで空とグラウンドを眺めます。校長先生はどんな決断をしても、「前の校長の時はいつも晴れだった」「この雨はすぐに上がるのに、どうして中止なんだ」「なんで、雨の予報なのに延期しないのだ」という言葉が待っています。
そんな六月の雨は、学校にとって、とりわけ校長先生にとって「つめたい雨」に感じられることでしょう。
「人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それは、むしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものだ」
「人を知ることは、その人の傷を知ることであり、そして愛することで、さらに新しい傷を作っていることに違いはないようです」
人は傷つけ合うことなしに調和することはない。確かにその通りなのでしょう。二つの文章は書いた人も時代もまったく違うのですから、より真理に近い言葉といえるのでしょう。では、人が構成している民族や国家そして宗教においてはどうなのでしょう。この真理が当てはまるとしても、殺し合いをしなければ調和に到れないのだとしたらとても悲しいことです。殺し合いをせずに調和の道を求めるのが人類の英知といえるのではないでしょうか。殺伐としたニュースが多すぎます。
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町PTA連合会総会でのご挨拶で、私はあろうことか「PTAはなくてもいいのではないか」と言ってしまいました。この場を借りて何か言い訳をしたいのですが、上手い言葉が出てきません。私は、よく制度や組織を持て余している、あるいは機能しないことに不満を持っている様子に、「それなら、一度なくしてしまい、もし、必要ならまた作ればいいのではないですか」と言ってしまいます。非常に突き放した無責任な言葉のようで、よくお叱りを受けます。
PTAでは役員のなり手がいなかったり、順番でいやいやなった役員の方は会合に出てこなかったり、何か活動をするとなっても参加してくれるのはいつも同じ一部の役員だけ、という話を聞きます。そんなに多くの人が参加したくない組織なら、いらないと思われている組織なら、本当にいらないのではないでしょうか。町内会という組織も同じだと言われています。どちらも、会費を払いますが、任意団体ですから参加自由なのです。ただ、PTAでは任意団体であるにもかかわらず、半強制的に加入させられ、会費の納入も求められます。ですから、自分は活動しなくとも要求や不満は言うという現象が起きます。
今年度から、中標津町では学校運営協議会(コミュニティ・スクール)をスタートさせました。年度当初に3校でスタートし、年度内に全小中学校に設置いたします。学校運営協議会は会費をいただくような組織ではありません。学校は地域のものである、地域住民のものであるということを再確認した取り組みと考えています。教育委員会で期待しているのは、辛口のご意見とそれに基づく学校運営を支える実行力です。学校の敷居を低くし、地域の教育力を学校教育の充実に生かしていただきたいと思います。また、子どもたちの元気を町内会をはじめ地域全体に届け、地域が元気になっていただければと思います。両者にプラスをもたらしたいという贅沢な取り組みです。
多くの方のご協力をお願いいたします。
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タイトルの「六月の雨はつめたく」は何なのだと問われそうなので説明しておきます。
六月の中標津は学校の運動会・体育祭の季節です。ところが、どなたもご存知のように六月の道東地方は、例年『蝦夷梅雨』と言われるように寒くて天候もよくありません。それでも、六月は毎週末にどこかの学校の運動会・体育祭が予定されています。
学校では、天気予報とにらめっこしながら、実施すべきか、延期すべきか、中止にしなければならないか、悩ましい思いで空とグラウンドを眺めます。校長先生はどんな決断をしても、「前の校長の時はいつも晴れだった」「この雨はすぐに上がるのに、どうして中止なんだ」「なんで、雨の予報なのに延期しないのだ」という言葉が待っています。
そんな六月の雨は、学校にとって、とりわけ校長先生にとって「つめたい雨」に感じられることでしょう。
中標津町教育委員会 教育長 小谷木 透
このページの情報に関するお問い合わせ先
教育委員会管理課 電話番号:0153-73-3111FAX:0153-73-5333
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