第47回 後悔ばかりの人生ですが・・・・・
韓国での「従軍慰安婦問題」に関して、国同士で決着したのだからいつまでもゴチャゴチャ言うものではないとおっしゃる方がいます。そして、いつまでも謝り続けるのは「自虐史観」だと切り捨てる方もいます。しかし、人が受けた傷というのはそう簡単に消えてなくなるものではありません。それは、個人の段階でも民族の段階でも同じでしょう。一つの出来事に加害者と被害者がいる場合、その受け止め方の違和感はお互いになかなか理解し合えないものですが、加害者には常に謙虚な姿勢が求められます。
時間が解決の手助けともなりますが、誠実な後悔による取り組みを継続していくことは必要だと思います。
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昭和61年、私が中学校の教師になって四年目のことでした。初めて担任した学級を持ち上がり三年生となった一学期の期末テストの一時間目、私は自分の学級の自分の教科、国語の試験監督をしました。一時間が終り解答用紙を集めると、驚いたことに女子23名分の解答用紙が全て白紙でした。
女子全員が示し合わせた抗議の白紙でした。原因については、もうずいぶん昔のことで詳しい記憶はないのですが、朝のホームルームの時に女子にとっては許し難いことを私は言ったのだと思います。私は、その日のうちに中心となっていた女子生徒と話をし、至らなかった言葉について謝り、その週の学級通信にも関連した事柄を記載しました。私にとっては学ぶことの多かったできごとでした。
実は、今年の三月、この学級のクラス会に呼ばれました。41人のうちの13人の参加でしたが、久しぶりに会う笑顔に心が弾みました。あれから30年、まぎれもなくあの時の中学生でした。しかし、45歳を過ぎた彼らの一人一人の顔には、当たり前ですがそれぞれの人生が刻まれていました。
話は尽きることなく、ほとんどはその場にいない同級生の消息と数限りない当時の思い出でした。喜び、悲しみ、怒り、次々と出てくるどんな出来事も笑いながら、或いは少々の後悔にはにかみながら語れることばかりでした。
そこで、私は「期末テスト白紙事件」について話したのですが、参加した13人、もちろんその中の女性7人も含め誰一人としてその事件を記憶している人はいませんでした。私は大変な驚きに包まれました。あれほどのエネルギーで私に抗議したことを、誰一人覚えていないというのです。それが現実でした。その直後の思い出話で、ある男性から「ぼくは先生にはさみで髪を切られた」と言われたのですが、私はそのことの記憶は皆無でした。記憶はありませんでしたが、間違いのないことと思い乱暴であった過去の自分について心から謝罪しました。また、ある女性が「私はあの頃、みんなにいじめられてとても悲しかった」と今にも涙を流さんばかりに話したのですが、誰一人としていじめがあったという認識はなかったと言うのでした。担任教師であった私も、明るく学習にも部活にもよく取り組んでいた彼女がいじめられていたとは、この時もなかなか信じることができませんでした。
私たちは、自覚をしないまま知らないうちに他人を傷つけています。お互い様だからと言い、居直ることもできます。自覚していないのですから、その時はどうしようもありません。ただ、私のクラス会での経験のように、気づかされる時も訪れます。また、ふとした時に、何かの関連で気づくこともあります。そんな時、私は精一杯後悔しようと思っています。「後悔先に立たず」という言葉どおり、過去はやり直すことも取り戻すこともできません。でも、「しまった」という思いが、自分自身の現在から未来への一歩になるのではないでしょうか。傷つけられた人が決して私を許してくれなくとも「しまった」と「ごめんなさい」の人生を歩んでいこうと思います。
時間が解決の手助けともなりますが、誠実な後悔による取り組みを継続していくことは必要だと思います。
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昭和61年、私が中学校の教師になって四年目のことでした。初めて担任した学級を持ち上がり三年生となった一学期の期末テストの一時間目、私は自分の学級の自分の教科、国語の試験監督をしました。一時間が終り解答用紙を集めると、驚いたことに女子23名分の解答用紙が全て白紙でした。
女子全員が示し合わせた抗議の白紙でした。原因については、もうずいぶん昔のことで詳しい記憶はないのですが、朝のホームルームの時に女子にとっては許し難いことを私は言ったのだと思います。私は、その日のうちに中心となっていた女子生徒と話をし、至らなかった言葉について謝り、その週の学級通信にも関連した事柄を記載しました。私にとっては学ぶことの多かったできごとでした。
実は、今年の三月、この学級のクラス会に呼ばれました。41人のうちの13人の参加でしたが、久しぶりに会う笑顔に心が弾みました。あれから30年、まぎれもなくあの時の中学生でした。しかし、45歳を過ぎた彼らの一人一人の顔には、当たり前ですがそれぞれの人生が刻まれていました。
話は尽きることなく、ほとんどはその場にいない同級生の消息と数限りない当時の思い出でした。喜び、悲しみ、怒り、次々と出てくるどんな出来事も笑いながら、或いは少々の後悔にはにかみながら語れることばかりでした。
そこで、私は「期末テスト白紙事件」について話したのですが、参加した13人、もちろんその中の女性7人も含め誰一人としてその事件を記憶している人はいませんでした。私は大変な驚きに包まれました。あれほどのエネルギーで私に抗議したことを、誰一人覚えていないというのです。それが現実でした。その直後の思い出話で、ある男性から「ぼくは先生にはさみで髪を切られた」と言われたのですが、私はそのことの記憶は皆無でした。記憶はありませんでしたが、間違いのないことと思い乱暴であった過去の自分について心から謝罪しました。また、ある女性が「私はあの頃、みんなにいじめられてとても悲しかった」と今にも涙を流さんばかりに話したのですが、誰一人としていじめがあったという認識はなかったと言うのでした。担任教師であった私も、明るく学習にも部活にもよく取り組んでいた彼女がいじめられていたとは、この時もなかなか信じることができませんでした。
私たちは、自覚をしないまま知らないうちに他人を傷つけています。お互い様だからと言い、居直ることもできます。自覚していないのですから、その時はどうしようもありません。ただ、私のクラス会での経験のように、気づかされる時も訪れます。また、ふとした時に、何かの関連で気づくこともあります。そんな時、私は精一杯後悔しようと思っています。「後悔先に立たず」という言葉どおり、過去はやり直すことも取り戻すこともできません。でも、「しまった」という思いが、自分自身の現在から未来への一歩になるのではないでしょうか。傷つけられた人が決して私を許してくれなくとも「しまった」と「ごめんなさい」の人生を歩んでいこうと思います。
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教育委員会管理課 電話番号:0153-73-3111FAX:0153-73-5333
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