「我が古里・北方領土 思い出の1ページ」 佐藤 健夫(水晶島・国後島)

 私は生まれてから約8年間、北方領土で生活した。住んだ島は2つで、生まれてから6年間は歯舞群島のひとつである水晶島で過ごし、次の約2年間は祖父母の住んでいた国後島で生活した。
 水晶島では遠浅の海で魚や蟹を取って遊んだこと、秋のチカ焼き、家族みんなでネズミ捕りをしたこと、馬を見ながら学校の土手を走り回ったことなどが思い出される。
 
 国後島に渡ってからは、魚釣り、馬の世話、スキー、級友との遊びなどが思い出されるが、何と言っても忘れられないのは、ロシア兵との出会いである。忘れもしない昭和20年9月1日の午前10時頃、沖合いに大きな戦艦が現れ、すぐに何艘もの上陸艇が岸に向かって近づいて来た。海岸で遊んでいた私達は、「外国の兵隊だ、早く逃げよう!」と裏山に向かって走った。夜になり、裏口から家に入り、二階に隠れた。二階の窓からロシア兵の様子を見てみると意外に穏やかな様子が見て取れた。勇気を出してロシア兵の側に行ってみた。体は大きいが、子どもに対しては優しく、笑顔で接してくれた。私達も親しみを感じ、よく兵隊について回った。ロシア兵は「マーリンケ、マーリンケ」と言ってお菓子もくれた・・。
だからと言えば打算的になるが、私自身はロシア兵に対して悪い印象は持っていない。

 北方領土は、法と正義からいって日本の固有の領土である。正々堂々とその返還を主張していかなければならない。日本の国益に関わる基本的な問題である。